コーマック・マッカーシーの日本語訳されている全著作・・・「すべての美しい馬」「越境」「平原の町」「血と暴力の国(ノー・カントリー)」、そして「ザ・ロード」を読了しました。
この人の小説は最初の1ページを読みきるのが大変で、建物に喩えるなら玄関のドアが重すぎるんだな。じつに開けずらい。
なんとか建物に入り込んで、あがりかまちで靴を脱ぎ、リヴィングまで辿り着くころには、どっぷり浸れてるんだけど。
最新作の「ザ・ロード」は他の作品に比べてずいぶん読みやすいので、とっかかりとしてはベストだと思いますが、国境三部作と呼ばれる「すべての美しい馬」「越境」「平原の町」は本好きにぜひ一度、挑戦して欲しい小説です。

この人の持ち味であり、最大の特徴は句読点を極力まで省いたユニークな文体。そして小説世界の隅々まで描写する圧倒的な筆力=フデヂカラ。これも建物で喩えるなら、柱に打ち付けられた釘の一本一本がどういう材質で、長さはどれくらいで、釘のあたまにどんな溝が刻まれているかまですべて描き切ってしまう。
本を読む楽しみのひとつは、作家の目を借りて世界を眺め直すことだと思いますが、マッカーシーブッシュマンのごとき超人的な視力(遠視)の持ち主なので、ぼくのような近視の人間(裸眼が0.1以下です)にとってはレイシック手術を疑似体験したような気分になるし、視力がよい人には超長回し&パンフォーカスで撮影されたハイビジョン映像を想像してもらえればいいかもしれません。

彼の作品(=邦訳されてる五作品)には共通した要素が四つほどあると思います。
まずひとつめは主人公があてのない旅をしているということ。
もうすこし正確に書けば、あて(目的地とか旅の目的)はあるんだけど、旅立った動機がよくわからない。魔が差して、なにかの拍子にフッと旅に出てしまう。そしてその旅はとても長く、時には命さえ脅かすような危険な冒険になるのだけど、彼らはどんなことがあっても、旅のきっかけを言葉で説明したりしません。誰かにそれを聞かれても、ひとこと「よくわからないんだ」で済ませてしまいます。おまけにマッカーシーは心理描写をいっさい文中に持ち込まないので、綿密に(釘一本まで)描写されていく彼らの旅を追いかけながら、読み手側が想像するしかありません。
ふたつめはメキシコ。
ザ・ロード」以外の四作品で舞台になっています。常識や法律、価値観や倫理観が拒絶され、不条理で、不道徳で、理不尽な暴力や殺人が横行する、悪夢のような世界を象徴させる一方、飢えた旅人に食事を与えて、物的な謝礼をいっさい受け取らず、傷つき倒れた旅人の事情を詮索することなく助け、回復させ、癒してしまう・・・究極的な善の世界を象徴する国としても描かれます。
無論、メキシコという国を通してほんとうに描かれているのは、人間が抱えている原罪や矛盾ということになるでしょうか。人と人が理屈なしで愛し合うこと、理屈なしで殺し合うこと。人は善意から人を殺めることができるし、憎しみを抱えながら救うことができます。
そして三つ目は戦争について。
マッカーシー自身の言及はありませんが、国境三部作は第二次世界大戦の時代(1940年〜)が設定として選ばれ、「血と暴力の国」は9.11事件以降に発表された彼の最初の小説であり、これは1980年が舞台です。1980年は、日本を含めた西側諸国が大量に参加をボイコットしたモスクワオリンピックが開催され、湾岸戦争の口火となるイラン・イラク戦争が始まった年でもあります。
ザ・ロード」はなんらかの異変が起き、すべての社会が崩壊した近未来のアメリカが舞台。空から灰が降りしきり、太陽が姿を隠し、主人公たちは始終、寒さに震えています。すこしでも暖かな環境を求めて、南へと旅を続けているのですが、それは単なる主人公の憶測に基づいた道行きでしかなく、あてはやはりありません。
最後の四つめは夢。
彼の小説に登場する人々は、自分が見た夢の内容を他人へ饒舌に語るという特徴があります。時にそれは省かれた心理描写を補完する、重要な挿話として機能していて、ひとつひとつが独立した短編小説のように読めます。
これは文体の特徴としても挙げられるのですが、マッカーシーは登場人物の話し言葉を「カッコ」で閉じることがありません。すべて状況描写とおなじ連なりの中に収められています。だから主人公が現実的に体験している世界と夢のなかで見た世界が混然としていて、明瞭に区別できなくなることさえあります。もちろん彼らの語る夢の子細も「釘一本まで」の文体で、容赦なくみっちりと描き込まれています。

近作二冊はいずれも新刊で入手可能。国境三部作の第一作「すべての〜」は、何年か前にマット・デイモン主演で映画化され、文庫にもなってますが、残りの二冊は絶版。図書館で借りるか古書店で探すしかありません。ネットオークションでもかなりの高額で取引されているので、いま買うのは見送った方がいいかと思います。
ザ・ロード」がヴィゴ・モーテンセン主演で映画になり、11月の公開を前にはやくもオスカー間違いなしと云われてるし、近い将来にはその二冊も文庫化されるんじゃないかな。待ちきれないよ!って人は、ぜひ図書館で借りてみてください。読書の秋だし、しっかりと食べ応えのある小説をお好みなら、ぜひオススメしますよ。


すべての美しい馬 (ハヤカワepi文庫)

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血と暴力の国 (扶桑社ミステリー)

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ザ・ロード

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