紅と白にちゃんと分かれてない「歌合戦」とか、誰も隠してない「かくし芸大会」なんで誰も見たくないよね。つーことで、今年、最初のちゃんとした日記。何を書こうかと逡巡するだけで数日経ってしまいました。さすがは絶賛「大殺界」中の僕です。こんなに腰が重いのはHGと俺ぐらいじゃないでしょうか? 年始からこれじゃあ先が思いやられますが、特に今、一緒に仕事をやってる皆さんにおかれましては、今年一年、ちょっとだけ覚悟しておいてくださいね(笑)。

で、ここんとこしばらく原稿を書きながら、俺のiTunes上で歌合戦してたのは坂本九弘田三枝子

正月、ゴロ寝しながらいろんな資料の読み込みをしてたんだけど、その中の一冊「シンプジャーナル別冊・大滝詠一のゴー!ゴー!ナイアガラ」*1に掲載されてる、大瀧師匠と小林信彦の対談や漣健児さんのインタビューを再読し、昨年末からモヤモヤしていた日本語ポップス熱*2が再燃。「3・6・8・9」の時代へとワープした次第。とりあえず弘田三枝子のベストCD「ミコちゃんのヒット キット パレード」と坂本九の「シングルス」*3。去年、友人からもらった「ゴー!ゴー!ナイアガラ」のエアチェックテープを無限ループして、ゴキゲンな正月です。

そういえば昨年末、三木トリローさんを鶏ビュートしたライブやCDが発売されたり、糸井さんトコでも特集企画が立ち上がってるけど、どれほどの意味があるのかなあって考えたりするんだ、最近。今ってさ、ちょこちょこっと動くだけでものすごい情報量のデータが手に入るわけよね。でも、後追いでいくら資料を読み込んだり、音楽を聞き込んでも、トリローさんの音楽が溢れてた時代の・・・その微細な触感は絶対に復元できないんだよね・・・当たり前の話だけど。もちろん彼の音楽自体はそれ単体で充分素晴らしいのですが、どんなにディティールを突き詰めたとしても、結局ラーメン博物館とか日光江戸村みたいなテーマパークの如き「トリビュート」が世の中にまたひとつ誕生することにしかならないんじゃないか、と思うのはシニカルすぎるでしょうか?
そんなこと言い始めたら、キリがないのは重々承知だけど、それがこれに繋がってるのだよ・・・とか、これがあれに繋がってるのかもしれないよ、くらいの結びつきというかリンクみたいな部分を、送り手も受け手も共有できなければ、トリビュートなんて行為は全く持って無意味なことだと思います。
マニュエラで店長をやってた時から考えてたけど、特にこういうノヴェルティ音楽は同時代的な音楽だけでなく、風俗や文化などと激しく呼応した上で成立してるから、ある意味、ポップミュージックより奥が深いんだ。そういう意味で、大滝詠一という音楽家の素晴らしさは、彼の実践を通して、アメと鞭・・・聞く快楽とよりよく聞くための修練を同時に与えてくれるところだと俺は考えています。

知識の量よりも、その時代の中で呼吸していたか体験こそが鍵。果たして現在の音楽はそういった時代の空気感を含んで成立しているかどうか? たとえば10年後に聞き返した時、そこにどんな感慨があるのか?
想像すると、少し怖くなりますね。それはもちろん自分への課題でもあります。


タララ・プンカ・ポンカ・ピ~Sing with TORIRO!~

タララ・プンカ・ポンカ・ピ~Sing with TORIRO!~

*1:一生復刊して欲しくない名著です。俺はたぶん札幌の古書店で1,500円くらいで購入しました。

*2:直接の発端はやはり年末に見た細野さんのライブでしょうか。

*3:共に東芝EMIリリースです。ちゃんと調べてないけど、両方だと思います。