2月のこの時期は各種アワードが目白押し*1ですが、特にアカデミー賞を控え、映画専門チャンネルなどで過去の受賞作が流されることも多く、今まで見る機会の無かった(or しばらく見返してなかった)名作に触れる機会が増えます。
ここ三日間で見た映画だけでも「ソイレント・グリーン」「乱暴者」「スミス都へ行く」「地上より永遠に」・・・もう、おなかいっぱいです。

そして今日の午前中にやってたのが、シドニー・ルメットの「ネットワーク」。ポール・トーマス・アンダーソンが「マグノリア」の参考にした作品として挙げ、絶賛していた作品だった*2ので、前から気にはなってたのですが、自宅近所のビデオ屋では発見できなくて、今日まで見る機会を得られぬまま。

結論から言えば、オールタイムベスト5に食い込む作品でした!
映画の導入はこんな感じです。


番組の視聴率が低迷し、解雇を宣告されたニュースキャスター、ハワード(ピーター・フィンチ)。彼は自暴自棄になり、番組内で"一週間後にピストルで自殺すること"を宣言する。
もちろん社会を揺るがす大騒動になるのだが、高視聴率においしさを見出したテレビ局はハワードの解雇を撤回し、番組は継続する。彼はタブーを打ち破って、社会やテレビ業界、政府の欺瞞を建前抜きの"本音"で語りはじめ、”怒れる予言者”として祭り上げられることになる。
実はこのハワード、自分の番組が低迷していたことを思い悩み、神経を病んでいたのだ。それゆえ心のプロテクトが壊れ、誰しもの中に隠し持つ"本音"を抑えることができなくなっているだけなのだ。しかし視聴者やスタッフは彼へ大きな歓声を送る。
ハワードの親友であり、長年のパートナーだったテレビプロデューサー、マックス(ウィリアム・ホールデン)は病状の悪化を心配し、番組から降板させ、治療を受けさせようとする。だが全米でもっとも人気のあるハワードの番組は巨大な利益を生み出していた。野心的な女性プロデューサー(フェイ・ダナウェイ)をはじめ、テレビ局の首脳は結託し、マックスを局から追放。ハワードと彼の番組はさらにその内容をエスカレートしていく・・・。



登場人物たちは例外なく狂っています。権力に、視聴率に、金に、出世に、と、それぞれが激しく狂ってる。この映画で一番まともな人間であるマックスさえ、愛に狂ってしまう。
ハワードが「神の言葉」の代弁者であるのと同様、映画が進むに連れ、登場人物たちから感情や物語がむしりとられていき、脚本家パディ・チャイエフスキーの言葉を代弁するための単なる媒介=メディアへと変貌していく。映画を見終わったぼくの心に残ったのはメッセージだけ。まさにメディアはメッセージ!

この映画が作られたのはきっかり30年前の1976年。クローネンバーグの「ビデオドローム」や「マトリックス」など"仮想現実"をテーマにした作品は数多く存在ありますが、その多くはSFとして扱われています。この「ネットワーク」もテレビという"仮想現実"と大衆との関係性をテーマにした作品ですが、一流の社会ドラマとして評価を得つつ、それよりもブラックコメディ的であり、一種のサイコ・ホラーでもあり、倒錯したラブ・ストーリーとしても見ることができます。

多摩川に来たアザラシ、二本足で立つレッサーパンダ、記憶喪失のピアノ奏者、ど根性大根・・・エトセトラエトセトラ。テレビ局はこんなふうに愉快で心温まる映像を毎日届けてくれています。
どこかの誰かが「ああ、二本足で立つレッサーパンダがいたらいいのになあ!」「道路の割れ目からダイコンが生えたら感動するのになあ」という風につよくつよく夢想してたら、テレビ局はそんな映像を見つけてきてくれたんでしょうか? それともあまりにその思いが強かったから、アザラシが多摩川に引き寄せられたのでしょうか?

ボードリヤールの語る"シュミレーション/シュミラークル"・・・

高度消費社会のシステムにおいては、すべてのものがシステムの要因として機能する<閉じられた円環>の内側にあり、社会の改変という契機をつかむことができず、あらゆる欲望はただ消費=生産というシステムの中の一要素としてしか機能しない

・・・ってやつですが、めちゃめちゃ簡単に解説すれば「世の中の要求や欲求から新しい商品や機能が創造され、それを大衆が消費する」というシンプルな時代が終わり、大衆の欲求よりも商品や機能のほうが先回りして登場する時代が到来した。それがもともと欲しかったものだったのか、それとも欲しがるように誰かから仕向けられたのか、大衆は判別不能のまま消費しつづける社会・・・ってとこでしょうか。

ボードリヤールは「マトリックス」の元ネタとして注目されましたが、あの映画を「ドラえもんの最終回」と同様に、コンピュータヲタ(=ネオ)の脳内妄想じゃないのか、なんて邪推もありました。妄想の世界は個人が簡単にアクセスできる一種の仮想現実ですが、この辺りの話からどんどん膨らませていくと単行本一冊に余裕でなっちゃいそうなので、今日はこの辺で(笑)。

パジャマにレインコートという異常な服装でスタジオに現れたハワードはテレビの前の人々へこう語ります。

言うまでもなく事態は悪くなっていく一方です。不況のせいです。人々は仕事を失うか、失業するのではないかと恐れています。貨幣価値は低落し、銀行は破産。商店主は銃で自殺。町にはチンピラがたむろし、為す術もなく、終わりさえ見えない。大気は汚れきっているし、食べ物も汚染されてしまった。テレビの前に座っているあいだ中、ニュースキャスターは誰が殺人や傷害の話ばかりしている。事態はどんどん悪くなっているのだ!
どこもかしこも異常だから外出もできない。リヴィングルームに閉じこもっているから世界は徐々に狭くなっていく。でも人々は「せめてわたしたちだけでもこのままほおっておいてほしい」と願っている。
だが、私はあなたたちをそっとしておかない。あなたがたには怒ってもらうぞ。文句は誰にも言わせない。私ひとりじゃ不況にも、インフレにも、ロシアや町の犯罪に対しても無力なのだ。
だからみんなには怒ってもらいたいのだ! 私はあなた方に「私たちは人間なんだ!私の人生には価値がある!」と叫ばせたいのだ!

今こそ立ち上がる時です。いすに座っていないで、立ち上がるんだ。窓を開けて、外に向かって叫びなさい。

「私は怒った。もう我慢はしないぞ!(I am as mad as hell. I'm not gonna take this anymore)」と。

テレビを見ていた人々は本当に窓を開け、「私は怒った。もう我慢はしないぞ!」と叫ぶ。
また別のシーンではこんなこともハワードは語りかけます。

テレビに映ることだけが真実だと思いこんでいる人たちがいる。テレビは福音そのものであり、終局の啓示だと信じて疑わない人がいる。テレビは大統領や首相を作り出せる。テレビこそ神不在の世界における最高権力なのです。哀しいことに今テレビは悪人の手にある。

テレビは真実じゃない。テレビは忌々しいアミューズメントパークです。テレビはサーカス、カーニバル、移動遊園地、ダンサー、歌手、ジャグラー、フリークス、サッカー選手・・・なのです。人々の退屈をしのぐための商売です。真実を知りたいのなら神様や導師のところに行きなさい。自分自身に求めなさい。真実はそこにしかないんです!
われわれからは真実を得ることはできないんです。なぜならわれわれは嘘つきだからです。テレビに出てくる刑事はかならず犯人を逮捕するし、主人公はどんな危険な目にあっても、番組が終わりに近づけば、かならず最後には勝ちます。われわれが与えるのは幻です。毎日毎晩あらゆる人々が幻を見続けていて、それを信じている。テレビの中の世界が現実よりも正しいと考えている。服装や食べるものや考え方、セックスさえもすべてテレビの模倣をする。なんと狂った事態なんでしょうか?
あなた方の方が真実でわれわれが幻なんです! だからテレビを消しなさい! 今すぐスイッチを消しなさい! わたしが話している最中でもかまわない、今すぐ消すんだ!

ハワードはそう叫ぶと白目をむいて失神し、床に昏倒する。スタジオで見守る人々は拍手喝采。視聴率は上がり続ける。

そう、ハワードは病んでいる。しかし、ハワードの言葉はまったく正しい。

じゃあ、ほんとうに病んでいるのは誰なんだろう?

*1:グラミー賞WOWOWの生中継で見ましたが、盛り上がりに欠け、全体的に"白さ"が目立ってましたね。ロック系のアーティストが多くのカテゴリーで復権し、カニエ一派が総なめするなど、ずいぶん保守化した印象を個人的には受けました。銀髪+モヒカンで登場(した後、速攻で退場)したスライ・ストーンをトリビュートしたのがMaroon5エアロスミスだったり、ハービー・ハンコッククリスティーナ・アギレラとか、U2&メアリーJ、JAY-Zリンキンパークポール・マッカートニーなどのコラボ企画、ニューオリンズ・トリビュートと称して、アラン・トゥーサンやDr.ジョンを登場させたとこまでは良かったけど、バックで演奏してるのはコステロブルース・スプリングスティーン、エッジという食いあわせの悪さ。これじゃまるで紅白だよ! アメリカのティーンエイジャーはきっとMTVアワードなんかを見るんだろうし、グラミーのAOR化は今後ますます進んでいくことでしょう。

*2:初回盤のDVDに収録されていた映像特典「マグノリア・ダイアリー」内。クイズ番組の老司会者ジミー(フィリップ・ベイカーホール)に関するエピソードはかなり直接的に「ネットワーク」から引用/影響されています。