土曜日のパーティですが、なんとアメリカに出張していた常盤響が帰って来ず*1、急遽、永田君と二人でDJをしました。代役を立てることもできたのですが、なんとなくその方が面白そうな気がしたので、永田君とも相談の上でそうした次第です。ひょっとしたら、入り口の掲示を見て「あたしの大好きなヒビキが出ないなら帰るわ(やたら図体のデカイ69年生まれのDJなんて、別に興味ないし)」という方もいらっしゃったかと思いますが、とりあえず来ていただいたお客さんからは不満の声はなかったので、ホッとしております。次またこのメンツで年末にやります。今度は常盤さんにも前戯・・・じゃなかった、前後一週間の海外渡航は禁止したいと思います。
さて、最近よく「年を取るというのはこういうことなのか」と感じることがあります。様々なバリエーションがあるんですが、簡単に説明するとこういうことです。
失敗→反省→リカバー→同じ失敗
・・・と、いうサイクルが以前よりも早まっているということです。失敗からリカバーというプロセスをなぞると、わりにしっかりと自分の中にマニュアルができて、同様の失敗を犯すことがとても少なかったんですが、それがどうも怪しくなってきた(笑)。
今のところはすごく些細なレベルです。たとえば、僕が自転車に付けているライトは電池式なので、自分でスイッチを付けたり消したりする必要があります。書店やスーパーなど、目的地に着けば、そのたびにライトのスイッチを切り、店内に入るわけです。それがねえ、最近やたらスイッチを消し忘れるんです。早朝のレンタル屋に出かけた話を十日くらい前に書きましたが、あの時なんて結局一時間以上、消し忘れたまま。別に電池の減りが惜しくて後悔するわけではないんですよ。むしろそうした些細な失敗を簡単にリカバーできなくなった自分に対して、ささやかな失望を感じるのです。そのささやかな失望は小さなトゲのように、僕の心に刺さる。刺さった瞬間には鋭い痛みを感じるのけれど、あっという間にトゲの存在を忘れてしまう・・・同じ失望を感じるまで。
DJをしていても、特に長時間に渡ってプレイしているときなど、往々にして失敗があります。たとえばかけようと思ってたレコードのヴァージョンを間違えたり*2、繋ぐタイミングをミスして、思うようなミックスができなかったり。
お酒も入ってるし、ブースの中は意外と余裕のない空間なので、そうした失敗は避けられない部分もあります。だから、失敗をどうリカバーするのかが腕の見せ所だったりします。サッカーを見ていても、自分のミスでボールを取られたとき、少々粗っぽくなっても奪われたボールを取り返しに行く選手(たとえばデコ)が大好きです。
ただ、僕はこうしたことを嘆き悲しんでいるわけではありません。年齢を重ねるということはそれだけで素晴らしいことだと思っているし、抗う気なんて毛頭ありません。また失敗の中からは、時に成功からよりも多くのことを学べるし、成功による陶酔は一瞬でも、失敗による悔恨は大きなメッセージとして、一生大切にすることができます。自転車のライト(LIGHT)が教えてくれることが、僕をライト(RIGHT)な場所に導いてくれるきっかけになるかもしれないしね。*3
とはいえ、失敗をリカバーするチャンスは時間と共に失われていくわけで、手抜きをせず、懸命に生きなくてはと思います。

*1:ファラ・フォーセット似の金髪美女が、帰ってくれるなと引き留めたそうです

*2:よくあるのが、ボーカル入りのヴァージョンとボーカル抜きのダブ・ヴァージョンを間違えてしまうこと。フロアの上がり下がりに関係なく、僕の気分は濡れた靴下のように最悪です。

*3:タイトルにした「I Saw the Light」といえば、多くの人にとってはトッド・ラングレンの曲が思い浮かぶと思いますが、カントリー歌手のハンク・ウィリアムスにも同名の曲があって、僕はこちらもしみじみとしていて好きです。