http://blog.livedoor.jp/jyminoue/archives/2006-11.html#20061129

どうよ、これ。再来週の12月15日は彼らJYM AND RECORDSと共にお届けする、久しぶりの福山パーリー。全国のバイヤーの皆さん、ぜひこんな調子でお願いします。

と、いうことで。初版が出まわってた頃は諸般の・・・というか、なんとなく買い控えしてしまっていた「華麗なるギャツビー>」改め「グレート・ギャツビー」を、先日町田に行った際、帰りの電車で時間をつぶすために購入しました。
翻訳というのは、言うまでもなく外国語で書かれた文章を日本語に置き換える作業を差すわけだけど(時々、誰かに翻訳して欲しい"日本語"の文章も散見しますが)、それはたとえばピアノのために書かれた曲を、弦楽四重奏用に編曲することに近いわけです。楽器はそれぞれ音の出方も違えば、楽器固有のキーや音域も違うわけで、それ相応の工夫や仕掛けが必要だということはわかりますよね。
ほとんどの聴き手(小説なら読者)はオリジナルの楽譜と見比べながら、その編曲された音楽を聴くわけではないし、楽譜の一音一音を正確に再現されているかどうかというよりも<なぜこのように弦楽四重奏で演奏されねばならなかったのか>という、編曲者のステイトメントや指針の方がより重要になると思います。
また言葉には賞味期限があります。その時代では有効でも、今ではいささかホコリをかぶってしまっているような言葉は多々あります。そういう言葉を別の、より生きた言葉へと置き換えることも翻訳においては大事でしょう。これを音楽で例えると「リマスタリング」にあたると思います。イコライザーやコンプレッサーを新たに通すことで、より現代的な音に修正したり、当時の技術では埋もれてしまった音をあらためて拾い上げたりすることも、このリマスタリングというプロセスによって可能です。翻訳においても、旧訳をあらためる際にはこのような作業も不可欠です。
長く日本で読み続けられていた野崎孝版の「グレート・ギャツビー」は、たしかにこの小説が書かれた時代に相応しい雰囲気と格調がありますが、なにしろ読みづらい。僕の家にある新潮文庫版「華麗なるギャツビー*1は、世界一有名な書き出しの部分さえ、こんな調子です。

ぼくがまだ年若く、いまよりもっと傷つきやすい心を持っていた時分に、父がある忠告を与えてくれたけれど、爾来ぼくは、その忠告を、心の中でくりかえし反芻してきた。

最初の一行はスラスラと読めるけど、急に「爾来(じらい)」って言葉が飛び出してきて、ドキッとしてしまいますね。まるで地雷に触れたかのように。「反芻」もそう。

春樹版はこんな感じ。

僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。

先ほどの「爾来」「反芻」以外にも、比較できるポイントはたくさんあります。たとえば「ぼく」を「僕」に変更したことで、この文章の主体であるニックの存在感はよりハッキリと、身近に感じられます。「ぼく」はどこかの誰かではなく、今この本を読んでいる「僕」自身なのだ、という感じがするはずです。この辺は音楽に例えるならば編曲というよりも、リマスタリングの効果に近いかも。
あと「爾来」や「反芻」といった硬質の響きを持つ言葉と違い、「ことあるごとに」や「考えをめぐらせてきた」からは、持続的な時間経過を感じることができるはずです。さっきピアノと弦楽四重奏に例えたわけですけど、どちらがピアノで、どちらが弦楽四重奏なのかはこのあたりでお分かりですね。

このフィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」というのは、ふりかえって立ちどまり、幾度も繰り返して文章の滋味を味わいたくなるようなタイプの小説です。僕はまだ原書を読んだことがないので、忠実性という点での優劣はわかりません。少なくとも野崎訳が出てから三十年も経過してるわけだし、今回の春樹訳もそれくらいの時間を経過させた上でジャッジしないと、フェアじゃないかもしれない。でも、この先の三十年間で折に触れて読み返すのは、この新しく出た春樹版の方なんじゃないかという気はしています。

さて、今日はこれから「ギャツビー」片手に浜松へと向かいます。ネグリジェさんは残念ながら今、面会がかなわない状況なのですが、とりあえず「まさみ病院」まで行ってみるつもり。そして発売したばかりの「Journalized」をナースステーションまでデリバってきます。*2
では、今夜SECONDのフロアで。

*1:1974年、初版発行。僕の手元にあるのは1988年発行の第37版。今は野崎訳の文庫も「グレート〜」というタイトルに改めてありますが、当時は表紙も映画版のスチル(ギャツビー役のロバート・レッドフォードとデイジー役のミア・ファロウが手を繋いで歩いてる場面)が使われていて、まるで映画をノベライズしたような感じ。よって本のタイトルも映画の邦題に準じて「華麗なる〜」になってる。

*2:どうせ手渡すなら、長澤まさみクンのような可愛いナースが良いのだけれど、ネグさんによれば、長澤はおろか短澤さえいないんだとか。きついですね。