一年間の就職浪人期間を経て、さらに紆余曲折ありつつ(住んでたアパートの隣人が発狂したりとか)、僕が最初の就職をしたのはShop33でした。その思い出深い店が二週間後にクローズしてしまうそうです。*1
僕がDJセット(ツーターンテーボー&ミキサー)とマッキントッシュという、今でもメシの種にしている二つの武器を使いこなせるようになったのは、まさにその33で経験したアレコレのおかげ。入社したのは93年5月。三年弱、勤務しました。
小さな会社だったので、当時、月給で働いてたスタッフは僕を入れて二人。なんでもやったし、やらされました*2。おまけに男性スタッフは社長と僕だけだったから、ミーティングはちょっとした女子校状態。今、考えると仕事場があんな華やかだったのは後にも先にもあの時代だけだったなあ。
基本はまず店番。通販用のカタログを担当していたので、商品をブツ撮りしたり*3MacDTPしたり*4、渋谷クアトロの一階*5にあった出店へ、週二回くらい納品と在庫チェックに出かけたり。*6
お店ではもちろんTシャツ畳んだり、接客したり、通販の申し込みを電話で受け付けたり、納品に来たクリエイターとお喋りしたり*7、もちろん空き時間にはDJをしたり・・・。
で、カラダを壊して二回も入院し、退社した後に33で知り合っていた永田一直くん*8に誘われて、マニュエラ入りしたわけだから、まごうことなき僕の原点ですね。思い出や経験を書くだけで本が一冊作れるんじゃないかな。
これからはウェブショップオンリーで展開していくそうですが*9、元々ギャラリーやショールーム的な要素の強いお店だったし、それが33の重要なアイデンティティだったので、リアル店舗の消滅は大きな転換になると思います。実際、退社後はほとんど接点を持ってないんですけど、今、書いたようにボクの仕事やスキルの中にはしっかりその時の経験が残っています。
もちろんボクの社会人経験が接客業だったことは、作品の送り手になってから、とても重要な意味を持つようになりました。お客さんがどんなものにココロ惹かれ、サイフを開きたくなるのか。どんな風にディスプレイされ、どんなプッシュをすれば、その商品を買ってくれるのか。僕自身がその時代に試行錯誤したことは、強い実感を伴って、僕の財産となっています。あの時、レジ越しに見たいろんなお客さんの顔を思い浮かべると、無責任なモノを世の中に送り出せないよなあって、今でも思います。
「レコード・バイヤーズ・ダイアリー」にも書いたけど、こんなふうにリアル店舗が消えていくのは抗えないことなんでしょう。僕がよりどころにしているような「実感」すら、この時代においては古くさいかもしれない。でもだからといって簡単には捨て去ることができないんですよね。その実感を浮き輪のように抱いて、時代の流れを漂っていれば、いつか潮目が変わって、もう一度あそこに戻っていくような気がするんですが・・・うーん、どうでしょう。
とりあえずはShop33の現スタッフ、社長のアラタケさん、ひとまずお疲れ様でした。リスタート後もがんばってください。

*1:勤務当時は吉祥寺駅の真裏に店舗があったのですが、数年前に現在の御殿山へ移転済。

*2:なんでもやるってのは、今でも変わりませんね。

*3:もちろんデジカメなんてものはありません。フィルムで撮って、焼き、スキャンしてました。

*4:まさに漢字トーク時代。イラストレーターやフォトショップクオークエキスプレスをマニュアル本と首っ引きで使いつつ、ようやくポツポツと街にできた出力屋で版下をプリントアウト。そして街の小さな印刷屋(老人会のしおりを作ってるような)に入稿。メディアがフロッピーからMOに移行した時はマジで感動したなあ。ZIP派もいたよね。でもそれまではファイルをフロッピー15枚に分割したりとかやってたんだもんねえ。泣ける。

*5:当時は全館がWAVEでした。同じ一階にはJ-POPコーナーとクラブミュージック、さらにスペースシャワーの公開録画用スペースがあって、BAM-TVの収録を毎日ナマでやってた。

*6:そのついでに渋谷のレコ屋へ寄り道して、新譜の12インチをせっせと買ってた。

*7:日本のインディーブランドをたくさん扱ってたので。その後、裏原宿シーンを支えるような有名デザイナー達の商品も数々扱いました。今をときめく村上隆さんなんかもしょっちゅう来てた。

*8:元トランソニック、現ExT Recordingsの・・・と、いうか、出会った当時はTriggerというレーベルからカセットテープをリリースしていた永田君。僕が店番してた時代に売ったテクノ系レーベルのTシャツをいまだに着てたりする。ホント物持ち良い。

*9:当時、同じビルに入っていた吉祥寺の名物ショップ「ペンギンカフェ」も03年からウェブショップになってたんですね。