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土曜日、残暑のスキマを縫って、茅ヶ崎にある開高健記念館を訪問。1974年から1989年まで彼が生活及び仕事の拠点としていた私邸を改造し、建物の管理を茅ヶ崎市が、運営を開高健記念会が行っている。
リヴィングだったスペースに、自筆原稿、友人への手紙、写真、年表などのほか、おなじみのジッポーやロンソン、パイプ、釣り道具などが、ガラスケースにすっきりと(一部、雑然と)収められていて、客として招かれたような気分になれる。*1
そうした常設の品々や、公開されている仕事部屋とは別に、現在は企画展として、晩年のライフワークだったモンゴル旅行にまつわる品々が多数展示されていた。*2
印象的な展示物は数々あったけれど、彼がヴェトナムに取材で赴いた際に携行した、現地語のメッセージ入り(「私は日本人のジャーナリストです/どうぞ助けてください」と書いてある)の日の丸は、熾烈きわまりない彼の従軍体験を思いかえすと、特に胸に迫るものがありました。
総じてこの場所からボクが感じていたのは、ロケーション(海岸から徒歩五分)に反して、開放的とはお世辞にもいえない、なんというか、鬱々とした雰囲気だったと、思う。開高に「危機と遊び」を与えていたのが外界ならば、ここは激しい躁鬱気質のひとであった彼が、ひたすら神経と肉体をすり減らし、原稿用紙や病魔に立ち向かった<戦場>の跡なのだ。
でも、二度と行きたくないとか、近づきたくないと思ったかというと、そうではなく、むしろその逆であり、もう一度訪れてみたい、何度でも噛みしめてみたいと不思議に感じさせてくれる場所だった。死者の、それも偉大な文学者の魂に近づける場所が、魅惑的でないはずない。*3