先日紹介した、パット・メセニーの「New Chautauqua」。シャトークァが地名だということは書きましたが、多くのアメリカ人にとって、シャトークァといえば、地名というより、別の意味を指す、ひとつの固有名詞として知られています。このことは英語版Wikipediaなどでも解説されているのですが、アルバムタイトルと結びつけられるような繋がりを、その時点でぼくが見出せなかったこともあり、意識的にその記述をさけました。
19世紀・・・ラジオ、映画、テレビジョンが普及する以前、野外劇場に観衆を集め、講演会と演劇と音楽会を合体させたような、教育と啓蒙、そして娯楽を兼ねた文化イヴェントが、全米各地で開かれていたのです。その発祥とされる場所がニューヨーク州シャトークァ。次第に同形式のイヴェントを総じて「シャトークァ(シャトーカ)」と呼ばれるようになったようです。
パット・メセニーは、地名ではなく、こちらの意味においての「シャトークァ」を踏まえ、New Chautauqua(新しいシャトークァ)と名付けたのだろう、という想像はできました。しかしそれが、あの印象的なジャケット写真(疾走する車、若しくはバイクの運転手が主観で見た、どこかの国道)のイメージと、具体的にまったく結びつかなかったわけです。
それが今日、ふと本棚からひとつかみした、長年"積ん読"状態になったままのぶ厚い書籍、その名も「禅とオートバイ修理技術―価値の探究」をパラパラめくっていて、偶然にも、その解答に繋がる記述を発見。
バート・M・パーシグの「禅とオートバイ修理技術―価値の探究」は、1974年に出版されるやいなや、アメリカで一大ブームを巻き起こしたベストセラー。電気ショック療法によって、過去の記憶を失った元大学教授=著者が、彼の11才の息子を連れ、オートバイで全米を旅するお話と、思索による精神世界への旅が、入れ子のように構成されています。
そしてその構成形式の基盤としているのが、まさにシャトークァなのだ、と。つまり、この「禅〜」から受けたインスパイアがジャケットに、そして音によるオマージュの結実が、このアルバムだと考えるのは自然じゃないでしょうか?*1

*1:国内盤のライナーなどでサクッと解説されてたら、やだなあ(笑)。