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まさに猪木の「ベロ出し失神事件」を彷彿とさせる展開。
結局どこまでがシナリオ通りで、どこからがアドリブだったの?
恥ずかしくって、せっかく一生懸命書いた昨日のエントリーを消したくなったよ(苦笑)。
猪木の「ベロ出し失神事件」とはナニか?
1983年6月2日、第一回IWGPの決定戦「アントニオ猪木 VS ハルク・ホーガン」での出来事。場所は蔵前国技館。場外乱闘の際、鉄柱の正面にフラフラと立ちあがった猪木に、その背後からホーガンが必殺のアックスボンバー。猪木は前頭部をしたたか鉄柱に打ちつけて昏倒。半グロッキー状態に。
レフェリーの場外カウントが進む中、ようやくエプロンに上がる猪木。しかしロープをつかんだまま棒立ちになっていた猪木に対し、ホーガンは正面からアックスボンバー! もんどり打って場外へ転げ落ちる猪木。場外マットの上でうつぶせに倒れたまま、ピクリとも動かない。
この「IWGP」こそは猪木みずからが構想した、新日本プロレスの新たな強さの象徴であり、猪木以外のレスラーがチャンピオンになることは許されない状況だった。坂口征二、ドン荒川らセコンドが"失神"した猪木を力づくでリングに戻す。しかし猪木の意識を戻らない。窒息を懸念した木村健吾が指を口の中につっこみ、舌を引っぱり出して気道を確保する。そのまま猪木はKO負け。すぐさま病院送りに。そしてホーガンは初代IWGPチャンピオンとしてベルトを巻くことになった・・・。
これが一般紙や他局のTVニュースでも報じられた「ベロ出し失神事件」の顛末です。当時中学二年のぼくも、廊下や教室で友だちにアックスボンバーをお見舞いされると、かならずベロを出して床に倒れたもんです。*1
それから約20年後、その試合でレフェリーを務めたミスター高橋が「猪木の独断、自作自演で行われた茶番劇」と著書で暴露しましたが、真相はいまだに藪の中。しかし猪木が「ベロ出し」した試合直後、ことの真相を知った坂口征二が「人間不信」とひとことだけ書いた手紙を残し、数日間失踪したと云われています。

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