時間というものは残酷なものですね。マエフリしておきながら、すでにイヴェント前日。
明日29日は午前中こそあまり良い天気じゃないようですが、イベント開始時間には快復しそうです。今年の仕事を無事に納めたら、ぜひfourへ駆けつけてくださいね。
さて、マエフリといえば、前回のエントリーで約束してあったので、リナさんの最新アルバム「大都市を電車はゆく」について書かなきゃね。

以前、拙著「ディスカバリー・ジャパン」にこういう文章を書きました・・・あらゆる都市には固有の音楽がある、と。そしてその都市の音楽を脈打つ鼓動に、固有の心拍数がある、と。DJとして日本中を旅することで知った・・・都会か否かに関係なく、ひとが暮らす場所にはかならずグルーヴがある、と。もちろんその最小単位は家庭であり、そこに暮らす個人である。つまり、ぼくやあなた自身。あなたの生活、ぼくの思考、彼の仕事、彼女の睡眠。そのベースにあるのはひとつのグルーヴであり、音楽である。
でも、いま、都市の音楽は乱れてる。惑わされてる。都市への依存度が下がり、モニター上のコミュニティへ結びつきはより強まっていく。電車、カフェ、レコード店、ブティックにいても、ぼくらはモニター越しにモノを見つめているし(店で商品をチェックし、実際にはオンラインショップで購入)、モニター越しに人を見つめている(メアドは?ブログやってる?mixiやってる?)。
ひとりで生きるのは辛く、淋しい。だけど、他人に惑わされて生きることはもっと辛く、淋しい(と、ぼくは思う)。人生の音楽、思考のグルーヴ、生活のBPMを回復するためには「ひとり」になるしかない(と、ぼくは思う)。ぼくの「Journalized」はそういう想いを持って作り上げた作品なのだけど、そこに参加してもらった数少ない「ひとり」仲間がG.RINAこと、DJ Senorinaこと、グディングス・リナさんでした。
彼女に力添えしてもらったのは、声と言葉。「大都市を電車はゆく」においても、そのふたつの"脚"がしっかりと地面を掴んで、新しい場所へと駆け出しているように感じる。彼女の言葉には固有のメロディーがあり、彼女の声には心を躍らせるグルーヴがある。Senorinaになれば、彼女はそれをタフなレコードさばきで表現する。そこに境界は無い。鳥は走ることと飛ぶことの別を意識しない。自由という言葉が規定する概念よりも、自由だ。言葉が歌に変わり、声が歌声に変わる境界、そんなものは存在しない。愛と恋の境界も無意味だ。生活と人生、一瞬と永遠の境界も、考えるだけムダだ。
都市は人であり、人は都市だ。彼女の音楽は都市の音楽であり、ぼくらが住む都市そのものである。彼女のつくる音楽を聴くと、そんなことをいつも思う。

大都市を電車はゆく

大都市を電車はゆく

そしてぼくが今、作りたい(プレイしたい)と思っているのは、まさにそんな音楽であり、書きたいと思っているのもそんな文章であり、少しでもそこに近づくために、ぼくも都市へと歩き出さねばならない。