家人が図書館から借りてきた「小説新潮」のバックナンバーをピラピラめくっていると、黒柳徹子の連載エッセイがまるごと赤塚先生への追悼文になっていました。ちょっと前に芸能記事で見た、赤塚先生が徹子へ恋心を抱いていた云々というニュースのネタ元がこれだったらしい。
今から半世紀近く前、おなじテレビ番組(子ども向けのクイズ番組)に出演していた二人。番組が最終回になったあと、大阪でミュージカルに出演していた徹子の元へ、赤塚先生がなんの前触れもなくフラリと尋ねてきた。公演がハネて、ふたりでホテルのバーに行き、あたりさわりのない会話を楽しんでいたら、ふと沈黙が訪れる。そのとき、赤塚先生が勇気を振り絞って「来ちゃった!」とあらためて一言。徹子は「で、今日、帰るの?」と、邪気なく聞きかえしてしまったらしい(鈍感!)。赤塚先生は下を向いて「うん、帰る」と答え、その日のうちに東京へ戻った。徹子がこのときの赤塚先生の思いをはっきり自覚したのは、それからずっと後のことだったとか。はぁ〜(大きく溜息)。*1
で、このエピソードはくだんの芸能記事で先に読んでたわけだけど、それよりもっと興味の引かれる、タモさん居候時代のエピソードをあらためて焼き直すような記述を、彼女のエッセイの中に発見したのです。
よく知られているのは、東京に呼び寄せたタモさんを自分の高級マンションに住まわせ、勝手にタンスから洋服を着るわ、高級酒をたらふく飲むわ、と悠々自適な居候ライフをタモさんが送ったこと。それとは逆に、着の身着のまま、寝床も無くなった赤塚先生は作業場のロッカーをひっくりかえし、ベッド代わりに眠っていた・・・というエピソードはこのブログでも前に紹介しましたね。
しかし、徹子のエッセイによると、タモさんはマンションにひとりで居候してたわけじゃなかった。このとき彼はすでに結婚してたので、福岡から奥さんも連れて上京していたそうなんですね。あたりまえっちゃあたりまえの話なんだけど。でも今まで、ぼくはてっきりタモさんがコメディアンとして売れたあとに、赤塚先生のマンションを出て、奥さんを呼び寄せたのだろうと勝手に想像してました。
タモさんひとりではなく、マンションで暮らしたのが森田夫妻だったのであれば、このエピソードに対する印象とかトーンはずいぶん変化します。もちろんこの事実の焼き直しというか、新たな肉付けが加わってもガッカリなんかしないけど。ぼくがもしふたりのどちらかだったとしても、事実をすこしだけ隠し、おもしろく語って聞かせる方を選びますもん。
そういえば別のなにかで読んだのですが(河出のムックだっけな)、タモさんが弔辞をフリースタイルで読み上げたのも、過去にちゃんと元ネタというべきエピソードがあったそうですね。
赤塚先生とタモさんがどこかで飲んでる時、赤塚先生の葬式をやっているという体で、タモさんがおしぼりを手に、延々とアドリブで弔辞を読む宴会芸を披露したそうです。で、タモさんは本物の葬式でもそれをやった・・・と。それがあの弔辞に出てくる「お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ」というパートに結びついたのかもしれません。
だからこそ最後に・・・タモさんへ。えーっと、読んでくれてますか? あなたの長年のファンからひとこと。10月からCXで始めた「エチカの鏡」という番組。あれ、居心地悪いですよね? 見ていて気の毒になるくらいでしたよ。あなたも番組のなかで冗談めかして言ってましたけど、ほんとに降板したほうがいいと思います。
(写真:1981年の24時間テレビで行われた「素晴らしき今夜は最低!の仲間達」から、赤塚×タモリの公開SMショー)

*1:徹子が鈍感だったおかげで、長きに渡る友情関係が保たれたとも云えるのですが。