触れずに済ませようかとさえ考えたんだけど、今日しか書けないことを今日書いておくのがブログの意義、と思い直してパソコンに向かっている。で、RCのレコードをとっかえひっかえ聴きながら書いていたら、とても長大な文章になってしまった。いろんな人がメディア上で出してる追悼コメントと同様、彼の曲や声は、聴き手の"個人"にコミットする力がとても強いので、忌野清志郎という実体が消滅してしまってもそう易々と切り離せないくらい、個人と複雑に結びついてしまってるんだと思う。ひとつの書きたい思い出は別の思い出とつながり、ひとつの紹介したいエピソードがまた別のエピソードとつながっていく。いつまでたっても終わりそうにない。だから、いったん書き上げたテクストをゴミ箱に放り込み、あらためてガタガタ書くことにする。

それはそれとして。

ぼくの場合、最初は音源じゃなくて、テレビでした。*1


で、そのあと中学の陸上部のカモノシタという変わった名字の先輩が、『EPLP』をカセットテープで貸してくれたのをダビングして聴いていた。初めて自分で買ったRCのレコードは『BEAT POPS』で、初めてライブを見たのは1985年の『ハートのエース』ツアー。好きな曲はたくさんありすぎて絞りきれないので、なにをあらためてここにリンクするか悩んだけれど、ハード・フォーク時代のRCで一番好きな「ぼくの自転車のうしろに乗りなよ」のライヴ映像(テレビ神奈川「ヤングインパルス」より)を。


ロマンティックでパストラルなラブソングかと思いきや、二番の最後の方で「君はいつもぼくを愛してる / 君だけがぼくの味方だった」と唄ったあと、一瞬、間を空けて「時もあった」と突き放す瞬間が好きだ。


1981年、宝島の別冊として出版された単行本『愛しあってるかい』に、こんな清志郎の発言が載っている。

僕はミュージシャンとして一生やっていくつもりだけど、夢の部分では経営者としてもやっていきたいんですよ。

たぶん当時の読者・・・小学生だったぼくはもちろん、おそらくはこれを引用した編集者も冗談半分の発言と受け取ってたと思う。一方でぼくは清志郎の歌詞に出てくる「カネ」とか「ビジネス」みたいな単語の響きが好きだった。彼のあの歌声やヤンチャな物腰が、ある種の"少年性"をデビューの瞬間から亡くなるまで担保していた。と同時に、曲作りに関しては「ぼくの自転車〜」で感じてもらえるような"早熟性"を、そしてデビュー直後の不遇も含め、ミュージシャン渡世の現実を、身を以て知ることで得た"達観"のようなものもあった。唄っているとき以外の彼が、どこか居心地悪そうな顔をしていたのは、"ミュージシャンとして一生やっていく"ために素の自分へ強いていたモノのせいだったかもしれない。そしてそのすべてをひっくるめたものが、彼の魅力だった。

新曲を心待ちにするような存在では何年もなかったけれど、彼が唄う姿を見られないのはとても淋しい。追悼のコメントを寄せてたゆかりの人々も、清志郎と同じく還暦前後になっている人たちが多くて、そういう意味でも"終わりの始まり"だと感じるから、余計に淋しくなってしまうのだけれど。


今までして来た悪いことだけで/僕が明日有名になっても
どうって事ないぜ/まるで気にしない
君が僕を知ってる


THE RC SUCCESSION BEST ALBUM WONDERFUL DAYS 1970-80

THE RC SUCCESSION BEST ALBUM WONDERFUL DAYS 1970-80

GREATFUL DAYS

GREATFUL DAYS

*1:「ライブハウスとかコンサートに来る人っていうのは、わりと音楽に対して積極的な人だと思うわけ。で、そーゆう人だけじゃなくて普通の人でも、僕らと同じ感覚を持ってる人たちがきっといると思うのね。家から出ないでテレビ見てる人たちの中にも。だから、そーゆう人たちに見てもらうためにもテレビに出ないとダメだと思うな」これも『愛しあってるかい』(JICC出版局)からの引用。テレビの歌番組に出ないことがアーティスト(ニューミュージック系のアーティストに多かった)のステイタスと見られていた時代に、出て何をするか、出てどう見せるかを考えていたRC。そしてTVに齧り付かんばかりにして、地方に住むイタイケな少年はただただコーフンしていたのでした。