Twitterとの"切り分け"が今ひとつ自分の中で定まらず、こちらの更新にとばっちりが出ていますが、ぼくは元気です。ちょうどシルバーウィーク近辺に『アーガイルの憂鬱』のデザイン作業が山場で、今はその入稿を終わってホッとしているところ。当初予定していた仕様から大きな変更が出たので、最初の打ち合わせより格段にデザインすべき要素が増えたんですけど、その分、ぼくらしさを爆発させるスペースが増えたので、結果的には大満足してます。早くみんなに見ていただきたいなあ!
で、話変わりますけど。iPhoneを買い増し(機種変更)してから今日でちょうど二週間。
昨年夏、初代iPhoneの上陸を尻目に、若干へそ曲がってiPod touchを購入しました。それを一年以上使い続けてたので、良い部分も悪い部分もしっかり踏まえて乗り換えたつもりだったんだけど、iPhoneは完全にtouchとは似て非なるものなんですね。実際に使ってみるとよく分かる。
そのうえであらためて感じたのは、Appleはその時期もっとも重点を置く商品に、もっとも色濃く自社の思想を反映させてるんだな〜ってこと。
今から約20年前にMacintosh classicを手に入れて、いわゆる68KのCPUからPowerシリーズ、iMaciBook、そして現在のintel時代に。また懐かしの漢字TalkからOSXへシステムを入れ替えながら、林檎ジュースにドップリ浸かって、特に仕事の大部分を支えてきてもらったわけです。
そしてこのiPhoneからもApple製品の中に綿々と流れ続ける、一種の"通奏低音"が伝わってきます。
この会社はどんなにたやすく実現可能な技術であっても、その通奏低音がユーザへ響かせられないと判断すれば、頑なに商品化しません。たとえば長らく噂されているタブレット型のMacなんかもそのひとつ。待ち受けてるユーザのほうも通奏低音の存在が希薄な商品にはきわめて冷酷だし、もちろんその音が誰にでも好ましく聞こえるわけじゃない。ただそれはファンには堪えられない、最高に心地よい音なんですよね。
ぼくらを心地よくさせるその音の正体について、たぶん専門家なら技術やマーケティングの優位性などといった側面から、さまざまな分析をすることもできるでしょうが、少なくともぼくにとっては"音"に置き換えるのがいちばんシンプルで、しっくりきます。たとえばソニーマイクロソフトやサムソン製品の中にも違った音が流れてるはずで、それぞれファンには堪らない音なんでしょうけど、ぼくにはこのAppleが奏でる音がとにかく心地よくて、どれだけ長く聴いていても飽きることがないのです。*1
こういうのを"精神"とか"魂"みたいに実体のないものではなく、音に喩えたいのは理由があって、音はそのまま目に見ることはできなくても、鳴ることで肉体を震わせ、直截に刺戟するものなので、より中毒性や依存性が高くなるんだと思います。一旦気持ち良くなっちゃうとなかなか抜けてくれません。まあ、アレと違ってどんだけハマろうが、事務所を解雇されたり、逮捕されたりしないのが救い。*2
とりあえずiPhoneで最初に聴いたのは『ザ・ビートルズ・ボックス』から「Please Please Me」。ベタですけど・・・。

*1:たとえばうちの親父なんか車ならトヨタ、家電はパナソニックの"音"しか受け付けないみたいで、なにを買う時でもファースト・チョイスはそれ。おそらくトヨタパナソニックに流れているのはワーグナーみたいな重厚長大系?・・・と、想像。

*2:無論こんな風にいくら讃えようともAppleからは一銭も出ないし、むしろお金は吸われる一方ってところに中毒者の悲しさが滲む。