その小さな古書店にはだいたい十日か二週間おきに訪れている。ほんとはもっと頻繁に行きたいところだけれど、在庫が入れ替わるペースや多少気まぐれな営業時間のせいで、不可抗力的にそのくらいの間隔に落ち着いたのだ。
五十才台半ばくらいの主人がいつも悠然とカウンターの中に座って、傍らのパソコンをいじくったり、時々電話でかかってくる注文や問い合わせの応対をしている。客が店内にいるあいだはせわしく立ち働かないのがポリシーなのだろう。掃除や棚の整理はいつも行き届いている。きわめて小さな音量でクラシックがかかっているけれど、エアコンの音にほとんどかき消されて、交響曲なのか協奏曲なのか室内楽なのかさえ、ぼくの耳では判別できないくらいだ。
映画、演劇、古い芸能関係の書物が主人の専門らしく、もっとも充実している。選り抜かれた文庫本や国内外の現代文学も若々しいセレクション。音楽やアート関係は在庫数こそ少ないが回転は速く、いつも違った見どころがある。
そして何より店頭の特価本コーナーが素晴らしい。一冊百円、三冊で二百円。新入荷に押し出されて店内の棚へ収まりきれなくなった在庫を放出しているので、これがなかなかあなどれない品揃えなのだ。いつもここでだいたい十冊前後を抜く。それでも六百円とか八百円。毎回千円札一枚でおつりが返ってくる。
セコな買い物でも店主はとても愛想よく、丁寧に応対してくれる。時々ちょっとした会話になるけれど、大抵それはさっぱりとしたやりとりになる。こないだ定休じゃない日にも閉めてましたねェ/エエ、あの日はたしか急に出張の買取がありまして…それは申し訳ありませんでした/じゃあまた寄らせてもらいますネ…と、いった具合に。

今日も店頭の品ばかりを抜いて、レジにドサリと置いたぼく。いつもと変わりなく愛想の良い店主。しかし、ほんのささやかな違和感が気になって仕方がない。
レジを打ち、袋に詰め、店主がおつりを差し出すまでのわずかな時間で、狭いカウンターの中に明らかに漂っている違和感の"出元"を探してみる。
そしてぼくはハッと気がつく。いつもは客がレジに立っても決して閉められることのない、ノートパソコンのモニターが四センチほどの隙間を空けて、伏せられている。
そこからわずかに漏れた光はとても艶めかしい色をしていて、ぼくはますますその小さな古書店が好きになったのだ。