映画の日。『イングロリアス・バスターズ』を見てきました。前作の『デス・プルーフ』は残念ながら劇場で見られなかったんだけど、それ以外の作品はぜんぶ大きいスクリーンで見ていることになる。そんな付き合い方をしている監督は、彼を含めておそらく片手ほどしかいないと思います。
タランティーノは、このアイルランドのパンク・バンドみたいなタイトルと、戦争モノであるという二つのポイントを、それこそ『キル・ビル』を制作するより前から口走ってたはず。『キル・ビル』は2003年の作品なので、ずいぶん前から刷りこまれてたわけだ。
とはいえ、ようやく完成したこの作品の細かい筋立てなどに関しては、ほとんど予備知識のない状態で見ることになったので、かなりワクワクしたキモチでシートへカラダを沈めました。

一言で云えば、戦闘シーンのない戦争映画。いくらドンパチが好きな監督とはいえ、『プライベート・ライアン』みたいな作品を撮るとは思えなかったけど、スケールをいくらでも広げられそうなストーリーが、あっというまに収縮しまうのは、いつものスタイル。荒唐無稽と云えば荒唐無稽。リアルッちゃあリアル。いつもちょうどその中間にタランティーノの映画は在る。そこに『ジャッキー・ブラウン』以降、繰り返しテーマにしている<美女の復讐譚>を絡めて・・・・・・要するに彼にしか撮れない(撮らない?)THIS IS IT、かつBADな作品になってた次第。*1
それにしても。
デビュー作の『レザボア〜』にシビれて以降、かれこれ二十年近く彼の作品に親しんできたぼくのようなファンは、あっちこっちのシーンに散りばめられる、タランティーノ的意匠に対し、許せるとこ/許せないとこを含めて、それを彼の作品の魅力として楽しめるし、理想的なリアクションが返せる自信があるけれど、例えばぼくらより下の世代・・・・・・それこそ『キル・ビル』すらオンタイムで観てないような人たちにはどんな風に映ってるのかな。
よくよく考えたら、こういうおおっぴらにCG使ってないような映画って劇場でひさしぶりに見た気がする。"イングロリアス・ムーヴィー・バスタード"であるタランティーノのことなんで、ものすご〜くしょうもないところで使ってたりするんだろうけどね、CG。もちろんそういうところが好き。あと端役に至るまで、数多の美女をスクリーン上に取りそろえて目を厭きさせないところ・・・・・・映画製作に自分の欲という欲すべてをぶっこむ部分、こういう趣味と実益を兼ねたサーヴィス感覚がぼくは大好きなんです。*2

*1:アメリカ・・・ナチ・・・二重スパイ・・・戦闘を描かない戦争を舞台にした作品・・・というテーマの共通性から、映画見つつ、ヴォネガットの『母なる夜』を思い出したりもしてたけど、ウチに帰ってパラパラと読み直したら全然違うタイプの作品でした。ともあれ『母なる夜』はオススメの良い小説です。

*2:めずらしくサントラは地味目だったけど、クライマックス直前、美女が復習の鬼へと変身するシーンで流れるボウイの『キャット・ピープル』には痺れたなあ。ベタすぎて(笑)。