実は先週木曜日に父方の祖母が急逝し、翌金曜から日曜の午後まで松山に戻っていました。日曜に大事なパーティを控え、一報を聞いた時、はたして択一することなく両方に参加することは可能なのか不安になりましたが、祖母が配慮してくれたおかげで、ギリギリのスケジューリングができ、どちらも無事に終えることが出来ました。
さて祖母のこと。
自宅の庭で足を折ったことがきっかけの、五年に渡る入院生活。でも見舞いに行けばいつも明るく気丈に振る舞ってくれる人でした。若い頃は親に反発して実家を飛び出し、広島の片田舎から大阪へ出て、バスガイドとして働いていた祖母。それこそ入院するギリギリまで、ひとりで旅行に出かけるほど元気だったし、ぼくが小さかった頃なども、お正月やお盆などの時期、祖父母の家へ遊びに行ったときは、台所以外の場所に一瞬たりともいたことがなかったように思います。そんなエネルギッシュさが脳裏に焼き付いていたから、病院のベッドの中に小さく収まった彼女の姿を見るのはじつに忍びないものがあった・・・なんて書くと、祖父に先立たれた後、面倒を全面的に引き受けてくれた叔父夫婦や、うちの両親の気持ちを傷つけるかもしれないけれど、でもそれは孫としてのぼくの偽らざる気持ちでした。
ともあれ、95歳の大往生。亡くなる一時間前まで同室の方と談笑していたと言いますから、急なお別れでした。叔父夫婦やうちの両親にも看取らせず、さっさと独りであちらの世界へ旅立ってしまったのは、ほんとうに祖母らしい気がします。最後にぼくが会ったのはちょうど一年前のこと。イヴェントで松山に戻った際、ひさびさにゆっくり病院で過ごしました。叔父たちやうちの両親にとっては聞き飽きた昔話を、古いアルバムをめくりながらたくさん話してくれました。そんな祖母の姿は驚くほどイキイキとしていて、ぼくはとても安心し、とても嬉しかった。一年前の出来事だったとは信じられないくらい、今もありありと情景を思い出せるのですが、その安心のせいで、ふたたび会う機会を先延ばしにしてしまったようにも思え、大きな後悔の種になってしまいました。
でも、ひさしぶりにたくさんの親戚たちと会って話せたことは良かった。これからの生き方に対して、いろいろと思うことの多いこの頃なので、自分の足下やルーツを見つめ直す良いチャンスになった気もする。
そして騒々しい広間の奥の台所に祖母がいて、昔のようにあれやこれやとぼくたちのために働いてくれているような気がしてならなかったんだよね。それでなんだかたまらない気持ちになって、台所をのぞきに行ったけれど、もちろんそこに祖母の姿はなく、急須の中に入っていた、すっかり冷えて渋くなった緑茶を湯飲みに注ぎ、また広間へ戻ったのでした。
ばあちゃん、いろいろありがとね。またいずれ会いましょう。*1

*1:・・・・・・こんなふうに長々、センチメンタルなことを書くつもりじゃなかったのになあ。どうしても筆が止まらなくて。かといって封印するのも祖母に悪い気がするので、このまま公開します。最後まで読んでくれて、どうもありがとうございました。