いつも一緒に

アントニオ猪木とザ・ファイターズ "炎のファイター / アントニオ猪木のテーマ"(1977)

わりと冷静に受け止めてるつもりだった。でも、深夜になって、桑田佳祐の追悼コメントをラジオで聞いたり、同じく猪木信者のくりぃむしちゅー上田が司会してるGoing!で、足跡を振り返るVTRを見てたら、どんどん涙が溢れてきて困った。

誰かのファンになる……マンガやアニメのキャラや特撮ヒーロー以外の、つまり、生身の人間を初めて好きになったのって、ぼくの場合は間違いなく猪木さんなんだ。

ファンにはおなじみの幟。振っていたのは飯塚進さんという熱狂的ファン。

いちばん古い記憶は4歳。1974年3月19日、蔵前国技館ストロング小林戦。他団体から乗り込んできた日本人チャンピオンとの一戦は、ウルトラマンガメラが闘うようなもので大興奮した。そして、同年の大阪府立体育館でのタイガー・ジェット・シン戦。いわゆる〈腕折り事件〉もハッキリ覚えてる。怖ろしさと同時に、悪党が徹底的に叩きのめされるカタルシスに酔いしれた。その直後に行われた大木金太郎戦は、大技らしい大技が無い殺伐とした試合でゾクゾクしたなあ……。

あの頃のぼくのような年端もいかない子供たちにまで、プロレスの醍醐味を届け、熱狂させ、トリコじかけにしたスーパースター/エンターテイナーが猪木さんであり、猪木さん以降、そんなすごいことを成し遂げた日本人はどんなジャンルにも出現してないんじゃないか? と思う。

大学生の頃、選挙運動中の猪木さんにハチ公前で出くわして、握手してもらったことがある。赤ちゃんの手みたいに柔らかくて、感触がいまだに忘れられない。「あんな激しい試合をしてきた人の手が⁈」って。その後、篠山紀信さんと握手した時も、同じくらい柔らかくて驚いたのだが、大衆を魅了する人って、どこか中性的で柔らかい……ある種、天使のようなイノセンスを保ったまま大人になっているのかもしれない。

永ちゃんの手も柔らかそうだなあ、と勝手に想像してるんだけど───えんえん止まらなそうので、このへんで今日はやめておきます。