THINK TWICE 20210725-0731

7月26日(月) アメリカン・ユートピア再訪

画像1

先日の今治に続き、今度は松山の映画館で『アメリカン・ユートピア』を鑑賞。初見ほどの感動は無いかな、と思ったらとんでもないとんでもない。曲によっては前回以上にグッときたりして、ハンカチが終始、手放せませんでした。

しかし、まあ、あれですね。その気になれば、このレベルのショウを毎日ブロードウェイで観られる人たちに、がーまるちょばのピクトグラムがどう見えてるか、ってことが問題なんだよなあ……と、終演後、いつもの居酒屋でカツ丼をかきこみながら考えてしまいました。

もちろんカツ丼のようなニッポンスタイルのおいしさもあるけど、きちんとしたコース料理を出さなきゃ失礼な場に、「時間も予算もなくて、今はとりあえずこんなもんしか出せないんですけど、お口に合うとは思うのでぜひ食べてください」とばかりに、カツ丼、お新香&お味噌汁を並べてしまうよう……じゃカッコつかない、ってぼくは思うんですけどね。

帰宅後、午後8時から杉作J太郎さんが主催するオンライントークイヴェント『松山サミット』に出演しました。

杉作さんからお声がかかったのが先週水曜。どういう雰囲気のイヴェントかもわからないままバタバタっと始まっちゃったので、最初はちょっと緊張しましたが、おひさしぶりの吉田豪くん、はじめましてのダースレイダーさん&高木"JET"晋一郎さん、他の参加者のみなさんと、2時間ほとんどを費やして、今回のオリンピック、特に小山田くんや小林さんの件についてじっくり話せて、すごく有意義でした。

というか、こういう形でではお互いに共感できる話し合いが可能なのに(互いの意見が必ずしも一致しなくても)ちょっと外に出れば、地雷だらけのディスコミュニケーション状態になってしまうのが不思議でならないね。


7月27日(火) THE SUN IS MY ENEMY

https://youtu.be/KezBVFWX68s

家中でもっとも窓が大きく、日当たりの良い部屋を作業場にしているのですが、この時期、パソコンをフル稼働させているときなんか、気が狂わんばかりに暑くなるんですね。

エアコンはリヴィングと寝室にあって、これ以上、室外機を置くスペースがベランダに確保できないため、物理的に設置不可能。そこで、リヴィングのエアコンの冷気をサーキュレーターで引っ張ってくる───という、ウルトラ原始的な方法で厳夏をしのいでおりました。

しかし、去年はとうとうがまんの限界を超え、パソコンや外付けハードディスクなど一切合切を、寝室に動かしたんですが、寝室の窓は独房並みに小さく、おまけに磨りガラスなので外の様子がまったくわからない。おまけにデスクの隣にベッドがあるもんだから、疲れると寝転んで、そのまま昼寝───という悪循環に陥ってました(ある意味、非常に幸せ、といえる)。

で、昨日のこと。気温は余裕の30度オーヴァー、もちろん窓からものすごい熱気が伝わってきます。ただ、ふと気がついたんです。何をって、遮光カーテンじゃないことに……。

今の家に住んでから、8回目の夏。その前に住んでいた湘南のマンションの、いちばん日当たりの悪い部屋につけていたカーテンがサイズ的にぴったりで、これでいっかとぶら下げたままでずっと過ごしてたんです。

アマゾンで見つけた遮光カーテンを昨日の昼に注文して、24時間しないうちにそれは届きました。さっそくぶら下げて、しばらく経って入室してみると、明らかに違う。たった数千円の出費で、こんなに劇的に変化するとは……。太陽おそるべし。というか、もっと早く気付けよ、俺。


7月28日(水) このVaccacineが

朝、自治体のウェブサイト経由でワクチン接種を予約しました。近所の病院で、来月頭に1回目の摂取。これでひと安心ってわけではないけれど、ひとつの節目にはなりますかねえ。

さて、ワクチン(Vakzin)は多くの医学用語同様、ドイツ語に由来するとのこと。しかしドイツ人の発音を聞いても「ファクツィーン」あるいはちょっとだけ濁って「ヴァクツィーン」と聞こえます。本来、このVakzinもVolks(フォルクス)とかHerbert von Karajanヘルベルト・フォン・カラヤン)のように、Vは英語のFに近い発音のはず。

だったら、ファクチンとかハクチンでいい気がするけど、爆沈とか爆心、あるいは白痴を思い出すというか、あまりありがたくないなあ、と誰かが考えて、ワクチンと呼ぶようにしたかもしれないですね。ちなみに英語ではVaccine(ヴァクシーン)と言います。Vaccineは「ワクチンを打つ」という動詞に変換でき、その場合はVaccinate(ヴァクシネート)になります。みんなもヴァやくウタネートね。

画像2

さて、夕方近く。サーヴィスデイ&友人夫妻の中3の息子も見たがってたので、彼を引率して三たび『アメリカン・ユートピア』へ。

金曜日で上映終了なので、これが最後の劇場鑑賞になるのかな、と。

映画のなかで演奏される21曲の内訳は、トーキング・ヘッズ時代の曲が8曲、ソロになってからの曲が12曲、そして1曲だけジャネール・モネイ───アメリカの女性R&Bシンガーで、最近は女優としても活躍している人の「Hell You Talmbout」をカヴァー演奏しています。

この曲は警官に殺された黒人たちの名を、パーカッションのリズムに合わせて、チャントしていく曲です。

https://youtu.be/D8kFSTzXyew

バーンはこの曲をバンドと共に歌う前後に、観客にこんなことを語ります(記憶に頼っているので、間違いがあったらすいません)。

「この曲はプロテスト・ソングであり、理不尽に奪われてしまった命に対するレクイエム(鎮魂歌)でもあります。そして、わたし自身は〈可能性〉について書かれた曲とも考えているんです。もっと言えば、それは〈変革の可能性〉ということです。この未完成な世界だけではなく、わたし自身の心の変革という意味でも。そう、わたしも変わらなければならない」

「作家のジェイムズ・ボールドウィンがこんなことを言っていました───まだわたしは信じている、わたしたちはこのアメリカという国と共に変われる可能性があるのだ、と。ボールドウィンは終生、謂われのない差別や偏見と戦った人でした」

ジェイムズ・ボールドウィンはニューヨーク・ハーレム生まれの黒人作家で、同性愛者でした。1920年生まれの彼にとって、白人からは黒人として差別され、また社会全体からはゲイとして差別されていたのです。

ジェイムズはアメリカとヨーロッパを行き来する暮らしを続けながら、60年代には公民権運動に身を投じ、マーティン・ルーサー・キング牧師と行動を共にしていた時期もあります。彼や、同じく公民権運動を戦った黒人たちを取り上げたドキュメンタリー『私はあなたのニグロではない』は昨年日本でも公開され、現在はアマゾンプライムに上がっています。たまたま『アメリカン・ユートピア』に先立って、観ていました。1

1 アカデミー賞を獲った『ムーンライト』(ジャネール・モネイも女優として出演しています)を監督したバリー・ジェンキンスが、ボールドウィンの代表作のひとつ『ビール・ストリートの恋人たち』を2018年に映画化し、これまた世界的な映画祭で高い評価を受けました。

ジェイムズが残した「このアメリカという国と共にわれわれが変われる可能性があると信じる」という言葉は、アイロニーだったんでしょうか。きっと違います。皮肉で変わるほど、人間の心も世界も簡単な相手ではありません。彼がこれを本気で信じて、本気で語りかけたからこそ、言葉は残ったのだと思います。


7月29日(木) Everyday is a Miracle

https://www.youtube.com/watch?v=dE-mxVxFXLg&ab_channel=AntonioSilva

デヴィッド・バーンがあるジャーナリストから、1984年に彼自身がディレクションした映像で、顔を黒塗りにして黒人に扮していたことを指摘され、謝罪をしたことがありました。

以前、この件については、noteで詳しく書いたとおり。

https://note.com/akiramizumoto/n/n321f5cbc0255

今年5月、ローリング・ストーン・マガジンに『アメリカン・ユートピア』のプロモーションを兼ねた、バーンの新しいインタビューが掲載され、騒動についてふたたび言及していました。

https://rollingstonejapan.com/articles/detail/35937/3/1/1

───あなたは最近、80年代にトーキング・ヘッズの宣伝素材映像で、顔を黒や茶色に塗っていたことをあえて自ら知らしめて、そのことについて謝罪されましたね。そういうきっかけをあなたにもたらした人々がいたと思うのですが、そうした彼らの存在から学んだことというのは?

バーン:僕自身はあのことはすっかり忘れていてね。まずはこう思った。「なんてこった、これは酷いな。時代のいかに変わったことか。そして、僕自身もどれほど変わったものか」けれど、すぐにこう考えた。「よし、ならこいつは自分で引っ張り出してやることにしよう。大袈裟にするつもりはないが、でも自分から口に出すことで、自分の問題として受け止めるんだ。そしてみんなにも、僕が成長し、変わったことがわかってもらえるはずだと願おう。」

でもさっきも言ったが、こういうのはいわば進行中の手続きだ。それに、これも一緒に明言しておくけど、彼らは(謝罪を)ちゃんと受け容れてくれたよ。だから、まっとうなやり方ができているなと感じてもらえたんじゃないかな。自分から進んで表に出すことでね。


バーンが云うところの「謝罪相手(彼ら)」が誰を差すのか、何の言及も記事中にないのでわかりませんが、彼のバンドには黒人のメンバーも数多く在籍しているので、その人たちに……ということなのかもしれないですね。

先だっての開会式では、竹中直人さんも参加することになっていて、コーネリアス小林賢太郎の件が問題になったことで、前日に自主降板した、と報じられました。バーン同様、自ら先に表明&謝罪したこともあって、先の二人のような大きな問題には発展しませんでした。

ところで、小林賢太郎は謝罪文にこう書いていました。

浅はかに人の気を引こうとしていた頃だと思います。その後、自分でもよくないと思い、考えを改め、人を傷つけない笑いを目指すようになっていきました。
 人を楽しませる仕事の自分が、人に不快な思いをさせることはあってはならないことです。当時の自分の愚かな言葉選びが間違いだったことを理解し、反省しています。

揚げ足を取るようで悪いけれど、人を傷つけない笑いがダメでは無いと思うのです。というか、どんな笑いも、どんな表現も、人を傷つける可能性はあるはずです。ロンドン五輪の閉会式にモンティ・パイソンが登場することが快挙とされ、ラーメンズのコントがなぜ問題視されたか。実はこの謝罪文にも滲み出る考えこそが、やはり問題だったのだと思います。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm12520134

モンティ・パイソンのリーダー、ジョン・クリーズヒトラーのモノマネが得意で、コントの中でもよく彼に扮しています。第1シーズンに放送された「ヒトラーのいる民宿」では、イギリス人の善良な夫婦がある民宿に泊まろうとしたところ、先客にヒトラーヒムラーたちナチスの残党がいて、スターリングラードの奪還作戦を企てている───というネタになっています。

で、コントの中盤にこんなセリフも飛び出すんですよ。

「もしまたあいつが大口叩くようなら、ランプシェードにしてやるぞ!」

もちろんこれはイルゼ・コッホという悪名高き女性(ブーヘンヴァルト強制収容所の所長だった夫と共に、囚人を殺し、その皮膚でランプシェードを作った史実に則っています)をネタにしてるんですね。

もちろん放送していたBBCも公共放送ですから、放送前に内容を検閲し、モンティ・パイソンは彼らと戦ってきた。そういう格闘の中で、常にそうした問題を深く検討し、それを笑いに変えることがどういう意義があるか───をたえず真剣に考えてきた人たちです。彼らが首尾一貫して、ネタにしてきたものは、そうした残虐性、セックス、宗教、人種差別などをとおしてあらわれる、人間の本性そのものだった、と言えると思います。

それに対して、ラーメンズのコント内の発言は単なる軽口、表層的な言葉遊び、揶揄に過ぎなかったから、やはり叩かれれば撤回し、日和った弁明に走るのだと思います。

バーンのブラックフェイスは、どちらかと言えばラーメンズのコント寄りのジョーク映像でした。あの映像は映画『ストップ・メイキング・センス』のプロモーションのために作られ、当時のバンドメンバーはトーキング・ヘッズの4人以外、キーボード、ギター、コーラスなど、全員が黒人でした。しかし、当時あの映像を観て、憤慨し、バーンに撤回を迫ったメンバーはいなかっただろうと想像します。

だからといって、バーンは「時代が悪かった」とか「みんな悪かった」と責任転嫁していません。そのうえで自主的に公表することを決め、自分だけでなく、社会全体の問題、もっと大きな問題として考えて欲しい、と訴えかけました。

ぼくが『アメリカン・ユートピア』に心動かされたのは、まさにこういうところ。世界を変えたいなら、まずは自分を変えよう、皮肉や揶揄やブラックジョークではなく、心からそれを信じようという態度です。67歳にしてバーンが辿り着いた境地に、早くぼくも追いつきたいなと思うのです。