THINK TWICE 20211107-1113

11月8日(月) こんな夢を見た

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どこかの街で仕事を終えたあと、別の街でも仕事の予定が入っていて、ぼくはひとりで電車移動をしていた。そして乗り換えの駅に着く。乗るべき電車が来るまで時間つぶしに構外に出て、コンビニへ行く。そこでコーヒーを飲んだりしてるうちに日が暮れてくる。あ、やばい、早く移動しなきゃ、と急いで駅に戻った。でも、これからどこに、なんのために行くのか、この駅にどうして降りたのか、なにもかもすっかり忘れてしまっている。スマホを開き、なにか手がかりを探すんだけどまったく出てこない。戸惑う。そのうちに焦るというより、ちょっと開き直った気分になってくる。とりあえず泊まれるところでも探して、ゆっくり休めば思い出すだろう───なんて考えていたら目が覚めた。

さらに細かく書くと、スマホで手がかりを探してるとき、まわりには人が大勢いる。ほとんどが中学か高校くらいの地元のヤンキーたち。その中におじさんがひとり混じっちゃってたので、あ、ごめんね、横にどいとくね、と動こうとしたら(恐怖心ではなく、恐縮で)ヤンキーたちが「いいんす、いいんす、気にせずそこにいてください」と言ってくれて、ぼくはそのままそこに立っていました。なんなの、このディティール(笑)。

ちなみにその駅はちょっと前に観た夢のなかにも出てきた。乗降客はけっこういる。でも、けっして近代的ではなく木造の古いタイプの駅舎だ。これまでの人生で見た、いろんな駅のパーツをコラージュしたようだった。

ところで、夢に架空の場所が出てくることはしょっちゅうあるけど、夢で使っている言葉が「昨日のテレビでやってた『チョンポラコソンゲン』観た?」だの「こないだオンブラモンブラに行ったんだけどさ」といった具合に、現実には存在しない、夢の中だけの架空の言葉が混じることって、少なくともぼくは経験がない。それも考えたら不思議な話だな、と思う。風景やシチュエーションはいくらでも捏造できるのに、言語は夢の中で捏造できない(しない)のはなぜだろう?

11月11日(木) ギャング牧師

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12月末にひさしぶりに発売される『マチボン』の締め切り。取材からデザインまですべて担当するコラムが全部で6ページ、原稿及び撮影のみのページが2ページ。無事に入稿が終わってホッとする。

さて、本日。昼ごはんを食べながら、NHKスペシャル『REGENERATION 銃弾のスラム 再生の記録』を見た。

https://www.youtube.com/watch?v=gu50zB0-_Vk&ab_channel=NHK

南アフリカのスラムを舞台にした、NHK版のクレイジージャーニー。

ヨハネスブルグのほうが有名だけど、第二の都市ケープタウンも治安の悪さは引けを取らないみたいだ。経済成長の恩恵を受けるリッチな白人たちは気候の良い海のそばで暮らしている。貧しい黒人たちが暮らすスラム街は内陸部にある。大人たちは銃器、子どもたちはナイフで武装し、激しい貧困と暴力のなかでなんとか日々の暮らしを立てている。

このドキュメンタリーの主人公はアンディ・スティールスミスというイギリス人。彼は金融トレーダーとして成功して、億万長者となった。この世の春を謳歌していた20年ほど前、アメリカ、サンディエゴのコーヒー会社を買収。現地に赴いたとき、たまたま訪ねたキリスト教系の更生施設で、リハビリに励む麻薬中毒患者のギャングと出会った。

「このグローバル化した世界において、わたしの成功は彼らの犠牲の上に成り立っていたのではないか?」

アンディはギャングとの出会いをきっかけに、自らの生き方を根本から見つめ直した。そして、底辺でもがく人々の助けをしようと牧師の資格を取る。その後、ビジネスのために訪れたケープタウンで「ここがお前の居場所だ」という神のお告げを聞き、妻と子供二人を伴って移住した。

ギャングたちが抗争を起こしていると聞きつければ、直接スラムに乗り込んで調停するアンディ。未来ある彼らが暗闇から抜け出すための手段を模索している。しかし、ギャング同士のアジトはわずか数百メートルの距離。お互いの縄張りも隣り合わせで、すれ違うだけで殺人事件に発展してしまう。

アンディの尽力でなんとか停戦しようとした寸前に、片方のグループのボスが殺されて水の泡になったり、内部抗争が起きたり……と、北野映画さながらのハラハラする展開が起こる。まさにフィクションを超えたノンフィクション。まったくもって目が離せなかった。

金持ちになって弱者を救うといえば、バットマンブルース・ウェインをイメージしたくなるけど、アンディは暴力的な手段をいっさい使わない。彼の武器は対話、信仰、そしてビジネスのスキルだ。

ギャングが麻薬などの違法な取引に手を染めなくて済むように、小型の簡易火災警報器仕入れて、彼らに提供する。粗末な掘っ建て小屋で寄せ集まって暮らすスラムでは、いったん火事になると一大事なのだ。それを未然に防ぐためにも火災報知器は必需品で、それを売ることでギャングが足を洗うきっかけにしようというのだ。

登場する人たち全員のその後が気になるドキュメントだった。


11月12日(金) ZULU JIVE

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昔からアフリカンポップスのなかでも、とりわけ南アフリカの音楽に惹かれてきた。南アのポップスは俗に「ムバカンガ(Umbaqanga)」と呼ばれている。

19世紀にダイヤモンドの採掘がはじまり、世界有数の鉱石資源国として成長した南アフリカには、アフリカ全土から労働者が集まった。やがて、労働歌やゴスペルから、ストリート・ミュージックとしてムバカンガが誕生する。

ムバカンガの基盤は、ゴスペルとジャズだ。南アフリカのジャズシーンについては、先日BLACK JAZZについて書いたときもちょこっとだけ触れたが、イギリスの植民地だった関係で、戦前からイギリス経由でディキシーランドスウィング・ジャズのSP盤が大量に輸入されていた。それが土着の音楽と結びついて「マラビ(Marabi)」という独特な音楽が生まれた。

https://youtu.be/NznMBXbDSkI?t=50

これまた先日書いたばかりのニューオーリンズのセカンド・ラインや、ジャマイカロック・ステディに通じるムードがある。

https://youtu.be/CHjkFZcZ9ik

そして、笛、ガットギター、ドラムによる軽装備のストリート・ミュージック「クウェラ(Kwela)」を経て、1960年代に楽器が電化し、演奏がフォー・リズムのバンド編成になったりして、現在ある形に進化していく。1

1 アメリカでドゥワップがソウルやR&Bに進化し、ジャマイカロック・ステディ、スカ、レゲエが生まれた状況とも呼応している。無論そういった音楽は分離したり、溶け合ったりしながら、ずっと同時に存在し続けている。命が絶えたから、次の何かが育つ、といった具合にはなっていない。

https://youtu.be/uq-gYOrU8bA

南アフリカのミュージシャンたちとアパルトヘイト政策下のヨハネスブルグでレコーディングされたポール・サイモンのアルバム『グレイスランド』(1986年)。オザケン「ぼくらが旅に出る理由」の下敷きになった「You Can Call Me Al」は、他の曲と違ってニューヨーク録音なんだけど、曲間にポールが笛を吹くのはクウェラへのオマージュだろう。

https://youtu.be/FjWAbtcSMic

で、ムバカンガの代表的なグループといえば、マハラティーニ&マホテラ・クイーンズ。80年代にCM(パルコ)に起用されて、彼らの曲が日本のお茶の間にも流れていた。

重心の高い軽快で踊りやすいビート、アコーディオン、合いの手(コーラス)のニュアンスがなんとなくポルカに似てるなあ、と昔から感じていた。ポーランド南アフリカというまったく違う歴史や文化を持つ国に、似通った響きを持った音楽が誕生したのはなぜだろう。環境が整えば、どこか似通ったものが同時多発的に発生することは、神話、宗教、言語、習慣など、さまざまな分野に見られる現象なので、けっして不思議ではないのだが。


11月13日(土) やっぱり大人は判ってくれない

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なにか短い時間でサクッと見られる映画は無いかな───とアマゾンプライムを漁っていると、アッバス・キアロスタミの映画が何本もアップされているのに気づいた。キアロスタミの映画は大昔に『桜桃の味』を観たっきり。

とりあえず目についた『トラベラー』(1974年)という一時間あまりの作品を選んだ。

三度の飯よりサッカーを愛する少年ガッセム。田舎町で暮らす彼はご贔屓のチームの試合を見に行くため、深夜バスでテヘランまでの〈密航〉を企てる。親の金をくすね、友達や下級生を騙し、学校の備品さえ売り飛ばして軍資金を捻出。なんとかスタジアムに到着したが、肝心のチケットは売り切れだった。はたしてガッセムは試合を無事に観られたのか───というのがあらすじ。

前半は完全にイラン版の『大人は判ってくれない』だった。ガッセムはある意味、ドワネルを超える悪童なのだが、テヘラン行きが決まったあたりから、映画の色彩は徐々にトーンアップ(と言っても『トラベラー』はモノクロ作品だが)し、オリジナリティを増していく。

この映画が作られた1974年のイランといえば、パーレビ国王ことモハンマド・レザー・シャーが支配する時代。

イスラム教の教えよりも、産業の近代化や教育の拡充を重視したシャーがぶち上げたのが俗に言う「白色革命」だ。

いわゆるオイルショックの影響で原油価格が高騰し、イランは一気に外貨を獲得した。その利益を社会改革に投入することで、文盲率が95%だったのが、50%まで減少する(『トラベラー』でもガッセムは字が読めるのに母親は文盲で、息子の宿題も見られない)など良き側面も多々あった。

ところがそのいっぽうで貧富の差は拡大。富める都市、相変わらず貧しい地方……という不均衡はこの映画でも通奏低音になっている。1

1 ごぞんじのとおり、1978年にホメイニ師によるイラン革命が起こり、パーレビ国王は失脚。イラン・イスラム共和国が誕生する。ホメイニ師が最高指導者になり、政治や司法をはじめ、あらゆる文化や社会システムはイスラム教にもとづいて再構築された。キアロスタミは革命後もイラン国内を見捨てることなく、政府による厳しい検閲下で作品を撮り続けた。

ガッセムの旅を観ながら、ぼくはトールキンの『指輪物語』を二重写しにしていた。フロドはあらゆる困難の果てに「滅びの山」にたどり着き、世界を滅ぼすほどのパワーを持った指輪を火口に捨てる。子供が親や教師に躾けられ、善良なる市民という型に押し込まれることは、ヒトが持って生まれた大事な力を子供の手で捨てさせるようなものだ。そしてぼくらは大人になり、捨てたことなどすっかり忘れてしまう。それがどれだけ残酷なことか、ぼくらはもう一度、真剣に問い直すべきだと思う。

https://youtu.be/99syRnNOWno

アメリカのクライテリオンが4K化して、それを2Kにダウンコンバートしたもので、びっくりするほど画質も音質もいい。『桜桃の味』『ともだちのうちはどこ?』など、レトロスペクティヴ「そしてキアロスタミはつづく」(今年10月の東京を皮切りに、全国の映画館で開催中)でも上映されている7作品がすべてプライムに上がっている。観ないと損だよ。