ワニ用のブックハントをしてた時、どこかの古書店で自分用に買って、そのまま積ん読していたフィッツジェラルドの第三短編集『若者はみな悲しい』をボチボチと読み始めています。翻訳は小川高義さん。ちょうどフィッツジェラルドが『グレート・ギャツビー』を執筆していた時期に書かれた小説が集められているので、物語の断片やちょっとした言い回し、作品の雰囲気のなかに、ギャツビーやニックたちが暮らしたウェスト・エッグに漂う、あの気怠く、虚無的な空気感との共通性が端々に滲んでいます。*1
さて、みんな大好きモトユキよりもぼくは断然タカヨシ派。翻訳家としての比較だけなら、ハルキよりもタカヨシに軍配を上げてしまいます。
小川さんの翻訳作法はテニス・プレイヤーで喩えるなら、ストローカー・・・・・・ベースライン際でストローク勝負に引き込み、ボールのコントロール能力で勝負。相手のペースをじわじわと支配し、試合を制するタイプかな、と。派手さはないけれど、テニスという競技の醍醐味を教えてくれる王道的なスタイルです。
反対にたとえばハルキなんかは、作家としてのスキルが高いし、翻訳力のなかでもとりわけ日本語の表現がパワフルかつ多様・・・・・・トップスピン、フラット、スライス、ボレー、ドロップショットなどなど、さまざまなショットを縦横無尽に組み合わせて、総合力で相手をねじ伏せていくオール・ラウンダー・タイプの典型じゃないかと思います。今の選手で云うなら、やっぱりロジャー・フェデラーでしょうか。
小川さんは、現代作家の中でもとりわけ長大な物語を得意とする、アーヴィングのようなタイプも十八番ですし、ブラッド・イーストン・エリスのような曲者もあっさり料理でき、なおかつラヒリのような柔らかく繊細な作家さえお手のもの。ぼくみたいなタカヨシ贔屓にしてみたら、モトユキ人気の何分の一かでも彼に分けて欲しいくらいだな。
で、今年最初に出る小川さんの翻訳仕事は新潮クレストブックから出る、ベトナム系作家ナム・リーの短編集『ザ・ボート』。自身も幼少期にボート・ピープルとしてオーストラリアへ漂着した経験がある、若手作家のデビュー作・・・なんて、いかにもクレストらしい一冊。ラヒリの夢よふたたび、となるか。写真を見る限り、ナムさんもユースケ・サンタマリア松田優作といった感じの色男ですし、そういった意味でも人気出そうですけどね。
あと昨年出た小川さんの著書『翻訳の秘密―翻訳小説を「書く」ために』も未読なので、近いうちに手に取るつもりです。


ちなみに小川さんはこんな顔。柔和っ!

*1:昨年九月にこの光文社古典新訳シリーズで『グレート・ギャツビー』も小川訳が出てたんですね。全然知りませんでした。絶対買う。明日買う。